アルバニア共和国 | |
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正式名称 | Republic of Albania |
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国旗縦横比 | 5:7 |
現国旗制定年 | 1992年4月7日 |
州 | ヨーロッパ |
首都 | ティラナ |
公用語 | アルバニア語 |
流通通貨 | レク |
面積 | 2.9万km2(四国の1.5倍ほど) |
人口 | 288万人 |
アルバニア国旗の意味
双頭の鷲 | 15世紀の民族的英雄スカンデルベクの紋章に因んだもの。 アルバニア人は鷲の子孫であるという伝説、およびこの国が東洋と西洋の間にあり文化の中心であることを示します。 |
悪の帝国のようで怖いけどかっこいいと評判の国旗
アルバニアの国旗はかっこいいと評判です。
確かに赤地に黒い双頭の鷲って悪の帝国のような怖い雰囲気はありますが、かっこいいのも間違いなくわかります。
こうした感覚は、過去放映された仮面ライダーシリーズに出てくるショッカーのマークと似ていることも関係していそうです。
出典:アルバニアの国旗とアンゴラの国旗ってカッコよくないですか?ジブリ作品に… – Yahoo!知恵袋
双頭の鷲ポーズで物議を醸したワールドカップ
アルバニア国旗に描かれた双頭の鷲を模したポーズを、2018年のワールドカップでアルバニア系移民のスイス人の選手が行ったことで物議を醸したと話題になっていました。
これはコソボ、セルビア、アルバニアの関係性を背景にした政治的問題が起因しているとされています。
簡単に説明すると「アルバニアとセルビアでコソボを取り合っている中、双頭の鷲のポーズを行うことは挑発になるからダメ」という話ですね。
参考:
- 先日のW杯の、スイス選手による「双頭の鷲」ポーズは、なぜ差別的なのでしょ… – Yahoo!知恵袋
- World Cup: Swiss players make controversial gesture in win
アルバニア国旗の由来・歴史
15世紀頃 | 15世紀頃、スカンデルベグと呼ばれる君主がアルバニアに君臨していましたが、オスマン帝国の侵略によって400年以上に渡って支配されます。 このスカンデルベグは優秀な君主であり、少数の軍を操って多勢のオスマン軍進行を食い止めた名将でした。なお本名はジェルジ・カストリオティ。 |
1912~1914 | 第一次バルカン戦争により1912年に「アルバニア国」としてオスマン帝国からの独立が認められました。 ※第一次バルカン戦争:1912年春に起きたアルバニア人による反乱をきっかけに、バルカン同盟(セルビア、モンテネグロ、ギリシャ、ブルガリア)がオスマン抵抗に対して起こした戦争。 画像:Flag of Albanian Provisional Government 1912-1914.gif – Wikipedia |
1914~1920 | 1914年にドイツからヴィルヘルム・ツー・ヴィート公を迎え入れ『アルバニア公国』に。 それに伴い国旗のデザインが変更されました。 |
1920~1925 | 第一次世界大戦によりヴィルヘルム公が国外に逃亡したため君主不在の無政府状態に。 摂政(君主に代わって政務を行う役職)を配置することで政府を再建しますが、政情が不安定に。 |
1925~1928 | 1925年になると共和国(君主が存在しない国家)宣言がなされ『アルバニア共和国』に。 大統領としてアフメト・ゾグーが就任しました。 |
1928~1939 | ゾグーは憲法を改正することで1928年9月1日、自らが王位につきゾグー1世を名乗ります。 そのためアルバニアは再び君主制の『アルバニア王国』となりました。 |
1939~1943 | ファシスト政権下にあったイタリアがアルバニア全土に進軍。 ゾグーは王妃とともに亡命し、イタリアの国王がアルバニアの国王として即位しました。 つまり1939年、アルバニアはイタリアの占領下にはいったということになります。※左記はイタリア占領下時代の旗 |
1943~1944 | 第2次世界大戦、イタリアが連合国に降伏するとアルバニアはドイツ軍によって占領されました。 ドイツ軍に占領されていた頃は左記の旗が使われています。 |
1944~1946 | アルバニアのパルチザン(外国の侵略に抵抗する非正規の軍隊のこと)とソビエト連邦軍によって全土開放が行われ、アルバニア共産党を中心とした『社会主義臨時政府』が設立されました。 当時使われていた旗には共産主義のシンボルマークである鎌と槌が描かれています。 |
1946~1991 | 1946年に王政の廃止と『アルバニア人民共和国』の設立が宣言されます。 それに伴い左記国旗に変更され、これは1976年に国名を『アルバニア社会主義人民共和国』と改めてからも使われました。 ※双頭の鷲の上に描かれた、黄色い縁取りの星は共産党の象徴 |
1992年4月7日~ | 【現在のアルバニア国旗】 1991年に国名を『アルバニア共和国』に改称し、1992年4月7日に現在使われている国旗が制定されます。 |
アルバニアのネズミ講
ネズミ講とは、例えば1万円で買える会員証を誰かにも買わせることで5000円の配当がもらえるといったような組織のことです。
これが成り立つためには前提条件として無限に会員が増え続けることが必要となり、人口が有限である以上いつかどこかで破綻し負債を抱える人の出る仕組みとなっています。
このネズミ講が1990年代にアルバニアで流行し、1997年に破綻。
全国民の3分の1が全財産を失い、詐欺から国民を守ることができなかった政府への不満が爆発し暴動に発展する時代が発生しました。
アルバニアと言えばネズミ講を思い出す人がいるぐらい。キャッチーな話題ですもんね。
アルバニア国旗に似てる旗
アルバニア国旗と似てるとまでは言えませんが、アンゴラとパプアニューギニアはどちらも赤と黒をベースとしたかっこいいと評判の国旗です。
またモンテネグロとセルビアはどちらもアルバニアと同じく双頭の鷲が描かれています。
アルバニア国旗フォトギャラリー
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