オーストリア共和国 | |
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正式名称 | Republic of Austria |
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国旗縦横比 | 2:3 |
現国旗制定年 | 1945年5月1日 |
州 | ヨーロッパ |
首都 | ウィーン |
公用語 | ドイツ語 |
流通通貨 | ユーロ |
面積 | 8.4万km2(北海道ほど) |
人口 | 890万人 |
オーストリア国旗の意味と由来
赤色 | 返り血 |
白色 | 白いベルト |
赤白赤の配色は、第三回十字軍に参加したバーベンベルク家オーストリア公レオポルト5世が敵の返り血を浴びて全身が赤く染まったが、ベルトがあったため腰の部分だけ白く残ったという故事に基づいています。
オーストリア国旗の変化と歴史
神聖ローマ帝国962~1156 | 現在のオーストリアは神聖ローマ帝国の東の辺境の地として存在していました。 国旗は黄色地に黒い双頭の鷲が描かれたものが使われています。 画像:Banner of the Holy Roman Emperor (after 1400).svg – Wikimedia Commons |
オーストリア公国1156~1457 | 神聖ローマ皇帝よりハインリヒ2世がオーストリアの地を与えられ、オーストリア公国が誕生します。 国旗は現在オーストリア共和国で使われているものと同じものです。 |
オーストリア大公国1457~1804 | フリードリヒ5世(神聖ローマ皇帝としてはフリードリヒ3世)により、オーストリア大公国に。 国旗はオーストリア公国より引き続き同じものが使われました。 |
オーストリア帝国1804~1867 | 神聖ローマ帝国の皇帝フランツ2世が、オーストリア皇帝フランツ1世として君臨。それに伴いオーストリア帝国となります。 国旗にはハプスブルク家の色が使われ、黒黄の横二色旗となりました。 |
オーストリア=ハンガリー帝国1867~1918 | オーストリア帝国とハンガリー王国が共通の君主及び、共通の外務・陸軍・財政をもった二重帝国です。 成立の背景にはオーストリア帝国の衰退や、多民族国家ゆえ内部分裂を恐れたため策などあります。 国旗はオーストリア国旗とハンガリー国旗を組み合わせたもので、左側にオーストリア領土を示す皇帝冠のついた金色の盾形紋章。 右側にハンガリー領土を示す聖ステファン王冠のついた盾形紋章が描かれました。 画像:Civil ensign of Austria-Hungary (1869-1918).svg – Wikipedia |
ドイツ=オーストリア共和国1918~1919 | 第一次世界大戦で同盟国側として参戦するも敗北し、オーストリア帝国は崩壊。 同じ敗戦国であったドイツとの合併を目指し、ドイツ=オーストリア共和国が成立しました。 なおハンガリーは独立国家となっています。国旗はオーストリア公国時代のものが使われました。 |
オーストリア共和国1919~1934 | ドイツとの合併をサン=ジェルマン条約によって禁止されオーストリア共和国に名前を改めます。 中央には黄色い鎌とハンマーを掴んだ黒い鷲が描かれました。この鷲は現在オーストリアの国章としても使われています。 |
オーストリア連邦国1934~1938 | 1934年ナチス・ドイツの影響下の元、ファシズムが台頭しドルフス首相が暗殺されたことで、オーストリア連邦国に。 オーストリア共和国の頃と鷲のデザインが変更されました。 画像:File:Österreich-Wappen (1934-1938).svg – Wikimedia Commons |
ドイツ併合下1938~1945 | ナチス・ドイツによって併合され、オーストリアの独立は失われました。 |
オーストリア共和国1945年5月1日~ | 【現在の国旗】 第二次世界大戦(1939~1945)でドイツが敗北、戦争終結とともに、イギリス・フランス・フランス・ソ連によって10年間共同統治されます。 1955年5月15日より完全な独立を果たしました。 国旗はオーストリア公国時代のものが再び使われるようになります。 |
オーストリア国旗に似てる旗
ネット上を調べた所似てると言われている国旗は上記2つです。
スイス・ポーランドは配色が、ラトビアはレイアウトが似てる国旗と言えます。
名前が似てるオーストラリアの国旗
オーストリアとオーストラリアは名前が似てる国です。
しかし見て分かる通り国旗は似ていませんし、特に国同士で関係性があるわけでもありません。偶然と言って良いでしょう。
コメント一覧 コメントがあればここに表示されます
ままー
↑スネ夫(笑)
何書いているんですか
このサイトつくってる方に失礼ですよ
は?ww