ラトビア共和国 | |
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正式名称 | Republic of Latvia |
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国旗縦横比 | 1:2 |
現国旗制定年 | 1990年2月27日 |
州 | ヨーロッパ |
首都 | リガ |
公用語 | ラトビア語 |
流通通貨 | ユーロ |
面積 | 6.5万km2(東北全体より少し小さい) |
人口 | 195万人 |
ラトビア国旗の意味
- 暗い赤:国を守る国民の血
- 白:誠実さとバルト海
※バルト海とは:北ヨーロッパに位置する地中海
ラトビア国旗のデザインは、1280年前後に起こった戦争について触れたラトビアの古い文献『リヴォニア年代記』にも登場する話が由来しています。
エストニア人と戦ったあるラトビアの兵士が瀕死の傷を受け白い布で包まれた、その時布の両端が血で赤く染まったことがデザインの元ネタ(つまり包帯と赤い血)
ラトビア国旗の由来・歴史
ラトビアは16世紀後半にリトアニア・ポーランド領に、17世紀には一部がスウェーデン領となり、18世紀にはロシアの支配下に入りました。(ロシア・スウェーデン間の戦争により)
![ラトビア共和国の国旗](https://flaghistory.jp/wp-content/uploads/2020/02/1000px-Flag_of_Latvia.svg_-300x150.png)
1920~1940
一度はソビエト連邦の国となったラトビアでしたが、ロシア革命に伴い独立宣言。1920~1940にかけて『ラトビア共和国』となります。
当時使われていた国旗は現在使われているものと同じです。
![1940年頃のラトビア・ソビエト社会主義共和国の国旗](https://flaghistory.jp/wp-content/uploads/2020/02/1000px-Flag_of_the_Latvian_Soviet_Socialist_Republic_1940–1953.svg_-300x150.png)
1940~1941
1940年になるとラトビアはソ連軍に占領され、ソ連邦に加入することとなります。
国名は『ラトビア・ソビエト社会主義共和国』で、上記国旗は当時使われていたものです。
![1953~1990ラトビア・ソビエト社会主義共和国の国旗](https://flaghistory.jp/wp-content/uploads/2020/02/1000px-Flag_of_the_Latvian_Soviet_Socialist_Republic_1953–1990.svg_-300x150.png)
1953~1990
1953年になると国旗のデザインが上記のように変更されました。
国自体は『ラトビア・ソビエト社会主義共和国』のままです。
![ラトビア共和国の国旗](https://flaghistory.jp/wp-content/uploads/2020/02/1000px-Flag_of_Latvia.svg_-300x150.png)
1990~現在
1991年にソ連邦から独立を宣言し、国連加盟国となります。
国名は『ラトビア共和国』となり、国旗は1920年に制定したものを復活させました。
ラトビア国旗に似てる旗
特別、ラトビア国旗に似ているものはありませんが強いて言うならオーストリアの国旗は近いものがあります。
![オーストリア共和国の国旗](https://flaghistory.jp/wp-content/uploads/2020/02/1000px-Flag_of_Austria.svg_-300x200.png)
オーストリア
白い帯に赤いを配置した国旗です。
デザインも『返り血で赤く染まったのにベルト部分だけ白く残った様子』に基づくとされているため、ラトビアとの共通点が意外とある国旗と言えます。
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